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JPIC読書アドバイザーのひろがお送りする、
絵本や児童書のハカリシレナイ世界を探求するブログ。
現在は育児中のため、絵本&児童書の記事はお休み中。
感謝の心と和のこころ、女ゴコロを大切に、
限られた子育てライフの記録をお送りしています。
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●はじめての孤独絵本
[ やっぱりおおかみ ]



 

生まれて間もない赤ちゃんは、自分が母親の身体から離脱したことを
なかなか理解できずに泣く、ということ聞いたことがあります。
その後しばらくの間は、一体感と離脱感を繰り返し感じながら成長するのだとも。
だとすれば、離脱=孤独を認識し始めるのが3歳以降の幼児期からだと、
この絵本は教えてくれているのでしょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いっぴきだけ生き残っていたというおおかみの子どもは、
仲間をさがして毎日そこかしこをうろついています。
でも、どこまで行っても仲間は見つからず…
ある時はうさぎの町、またあるときはやぎの町、
ぶたの町にも行ってみたし、しかの町にも行ってみた。
うしの一家の楽しげな食卓には入れるはずもなく、
墓場に行っても、自分とは似ても似つかぬお化けが浮遊するばかりで、
誰も仲良くなんてしてくれません。
「け」
ある時、気球までもが自分から遠ざかるを見て、
おおかみの子供は、やっぱりおれはおおかみなんだと悟ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これが3歳からの絵本なのか!
「け」!
このさわやかな開き直りといったら。
アイデンティティの確立を主題にした小説や児童文学ならいくらでもありますが、
絵本でそれを表現したということが、スゴイ。
そして、これを幼児の世界に送り出した編集者もスゴすぎですよね。
しかも、30年以上経った今でも子どもたちの支持を受け続けているというのですから。

人は、誰もが生と死のトンネルをくぐるときはひとり。
たとえ幼児でも、自己の内なる孤独を本能で感じ取り、
「やっぱりおおかみ」に共感するのでしょう。
孤独は、ある種のオリジナリティでもあると、私なら明るくとらえます。
絵本のおおかみも最後にはそうしたように。
この孤高のおおかみは、きっとあなた心の中にも住んでいますよ。
生きる限り、どこまでもついてまわる真っ黒な影ぼうしのように。


■やっぱりおおかみ
 ささき まき 作 ・ 絵
 1973年 福音館書店
 3歳から


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posted by ひろ ■はじめましてのごあいさつ■ | 23:22 | Thinking | comments(0) | trackbacks(0) |
●give・give・give…そしてgive
[ おおきな木 ]

 


久しぶりの絵本記事は、知る人ぞ知る「おおきな木」。
昨年は村上春樹氏の新訳版が出版されて、注目を浴びていましたっけ。
みなさんはもう手にとられましたか?
私は発売当初にさっと目を通したっきり。
今回改めて新・旧をじっくりと読み比べてみましたが、
私はやっぱり和の風情漂う旧訳の本田氏バージョンが好きです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おおきな木は、その男の子が大好きでした。
男の子もそのおおきな木が大好きでした。
葉っぱを集めたり、幹に登ってブランコをしたり、
りんごを食べたり、かくれんぼをしたり…
おおきな木と男の子はいつも一緒。
でも、時が経つに連れて、男の子は木のもとを訪れなくなりました。
木はそれをさびしく感じながらも、彼のために与えることを続けます。
けれども、男の子の要求は増すばかり。
与え続けたおおきな木と、与えられ続けた男の子の静かで小さな物語。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


昔から、賛否両論いろいろな意見の出る絵本。
好き、嫌い、良い、悪い…いずれにしても、
それほどに人々の心をつかんだ作品ということなのでしょう。
「えっ、なに?愛ってこういうことなの…?」
与え続けることの幸せや、無償の愛を納得する人は静かに涙を流すし、
それに嫌悪感を抱く人は、激しく非難をしたりするのですよね。
でも、愛って…?
いくら読んでも、肝心の「答え」は見つからないの。
作者のシルヴァスタインも愛の実態をはっきりとつかみかねていたのでは。
彼のジレンマは、原書で読んでみるととてもよく伝わってきます。
「それで木はしあわせだった…でもそれはほんとかな?」 という一文、
原書では、
「And tree was happy… but not really.」
こう書かれています。
はっきりと“not”が使われているんですよね。
まぁ、英語ですからそうせざるを得ないと思うのですが。
でもそのわりに、こういう主題を取り上げてしまうところに、
作者のジレンマというか迷いのようなものを感じます。
無償の愛こそが、本当の愛なのか?果たして本当にそうなのか?
シルヴァスタインの叫びが聞こえてくるようです。
ちなみに村上訳では、
「それで木はしあわせに…なんてなれませんよね」
本田訳よりも、かなり直接的な表現になっていますね。
翻訳の重要性をつくづく感じさせてくれます。

男女の愛の形とするのなら、これはしょーもない話だ!
という人もあれば、
これは母と子の愛の形なのよ!でも、私、こんな母にはなれない…
と感じる人もいて。
シルヴァスタインって、読者泣かせですよね。
自分で答えを出せないものは、絵本に描いてしまえってスタンスですもの。
でもそれは、誰もが心の片隅で感じている疑問だったりすので、
多くの人をひきつけるのでしょうね。
私はこの絵本を開くとき、人間と自然環境との関係を連想することが多いです。
主に、植物とか太陽光とかですね。
ひたすら与え続けることに徹している彼らには、
人類共通のグレートマザー的なものを感じるし、
日々の感謝で恩返ししたいと思わせてくれる「おおきな木」でもあるのですよね。


■おおきな木
 シェル・シルヴァスタイン 作・絵 /本田 錦一郎 訳
 1976年 篠崎書林
 大人向き
 


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posted by ひろ ■はじめましてのごあいさつ■ | 17:22 | Thinking | comments(4) | trackbacks(0) |
●ホンモノの見分け方?
[さるかにかっせん]

 



日本の昔話絵本って、同じ題材でも無数に存在しますよね。
いったいどれを選んだらいいの?という声、よく聞きます。
本日は誰もがご存知、「さるかにかっせん」を引き合いに、昔話絵本の選び方をご紹介します。


昔むかし、あるところに、さるとかにがいました。
ある日、さるは柿の種を、かにはにぎりめしをひろいました。
なんとか、かにの持つにぎりめしを食べたいと企むさるは、物々交換を申し出ます。
それに応じたかには、さるに貶められ、やがて命を落とします。
そこで立ち上がったのが、このかにの子どもたちでした。
母がにの敵をとるべく、くりやはち、うすとともにさるに立ち向かいます。
彼らの巧みな連携によってさるは追い詰められ、最後には死を迎えます。


「え!?さるって死んじゃうんだっけ?かにも!?」
っていう感想をお持ちの方、多いかと思うわ。
実は絵本やかみしばいによってこの部分の描かれ方はまちまちです。
かには、いじめられただけにとどまり、さるも懲らしめられ、最後はごめんなさい〜で、
めでたし!というアレンジを加えられたものも多々あります。
今回ご紹介したあらすじは最も原典に近いと思われるもの。
では、どちらを子どもたちにあたえればいいのかしら?
「死んでしまうなんて、子ども向けにそぐわない」
「いやいや、口承文芸である昔話は余計な手を加えず、ありのままを伝えるべし」
専門家や書き手、家庭の両親たちの見解は様々。これは昔から延々と続く論争のようです。



「……厳しい生活の中で生まれた、シリアスな物語なのです。つまり、生命はどうやって成り立っているか、という根本物語を語っているといえます……こうして生命の真相を語る昔語は、現在の日本のように、豊かな暮らしの中で育つ子どもたちには、特に必要だと思います。自分たちが、ほかの動物たちに生命をもらって生きているのだということが、豊かさのために見えなくなっているのです。人間を含めて動物の生命は、愛を育てたり、美を生んだりする反面、残酷な面も持っているということを恐れずに語っているところに、昔話のひとつのたいせつな価値があります」

書店に並ぶ昔話絵本が教育的配慮?として、残酷性を排除しようとしたり、みんな仲良く暮らしましょうといった安易な筋運びをしていることを思うとき、昔話絵本は決して改ざん、改悪してはならないと思うのです。 
                                            (昔話入門・小澤俊夫 編・著 から抜粋)


小澤昔ばなし研究所所長の小澤俊夫先生は、こう訴えています。
かつて教え子であった私は、小澤先生の熱いまなざしと語り口を今でも鮮明に覚えています。
私も基本的には、この意見に深く賛同していますが、子どもたちにどう与えていくかは、各家庭に委ねられているとしかいいようがないのも事実です。ただ、小さなお子さんを育てる親御さんたちには、昔話がオリジナルとアレンジのふたつの顔を持っているということを知って頂くとよいかと思います。その上で、子どものためにはどちらがいいのか、という思いをこめて選択されることを願っています。
さて、肝心の見分け方ですね。
実はとても単純なんですよ。

1. 文・再話者が小澤俊夫さん、または瀬田貞二さんの昔話絵本

2. 画家が赤羽末吉さんの昔話絵本

3. 結末句(最後の締めの言葉)がしっかりと入っているもの
   例:どっとはらい
     とっぴんぱらりのぷう
     これでいちごさけた
     これでしまいや   ……etc.


上記3点をすべて満たしていれば、オリジナル昔話絵本とみて間違いないでしょう。
1を満たしている時点でまず、オリジナルとみて問題ないと思います。
3に関しては、沖縄地方においては昔話に結末句をつけないことが明らかになっています。
2の赤羽末吉さんについてですが、昔話絵本はこの方なしに語ることはできないほどです。
今年は生誕100周年ですので、また改めてじっくりと取り上げたいと思っています。
なんとか今年中に。(笑)
1.2.3.以外の絵本に関しては、何らかのアレンジが加えられているはずです。

さて、オリジナルとアレンジ。
みなさんはどちらをお子さんに読み聞かせしたいですか?
ちなみに私はどちらも同時期に味わったクチです(笑)
この違いが楽しくて仕方がなかった幼少期の経験が、
児童書への興味やこのブログ開設につながっています。



■さるかにかっせん
 おざわとしお 再話 / 赤羽末吉 画
 1995年 福音館書店 
 4歳から


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posted by ひろ ■はじめましてのごあいさつ■ | 14:08 | Thinking | comments(2) | trackbacks(0) |
●暴走注意報?
[暴走育児──夫の知らない妻と子のスウィートホーム]


久しぶりの更新になります。
おお、ひろよ、生きていたか。
そう思ってくださった読者のみなさま、本当にありがとうございます。
ここ二週間ばかり、駆けずりまわっておりました。
私って、どうしたって忙しくなっちゃう運命なんだわ…。
そう思い知らされ、納得しつつ、今やっとこうしてお茶をすすっております〜。
さて、本日はちょっぴりラディカルな新書のご紹介です。


いまや少子化問題は日本社会における最優先の懸案事項。
政治もビジネスもかまびすしい。
ましてや経済不安や将来への閉塞感が強くなってきている今日、
子どもの未来の幸福を確保するために、親たちは必死だ。
「子育て」の現場は戦場、妻はその指揮官。
華々しい戦功を上げるために、夫や両親を従えて戦っている。
しかし、ほんとうにこの「戦功」は子どものためのものなのか。
……豊富な取材例から見えてくる子育て家庭の現状を報告する。
                            (表紙カバーより)

育児放棄、過干渉、単身赴任祖母、ネットモンスター、
過激お受験戦争ときたかと思えば、なんだか超不自然な自然派教育…etc。
あまりにアブナすぎる育て事例の列挙に、
未来を憂い、思わず本を閉じそうになること数回。
たまらずこんな質問を投げかけしてまう、ひろ。
「本当にこんなヤバイ育児が蔓延しているんですか!?」
今回、著者の石川結貴さんにお会いできたのは幸運だったわ。
石川さんは家庭、教育問題、そして女性、主婦問題のスペシャリスト。
『暴走育児』で取り上げられた事例はあくまで「少数派」とのお話だったけれど、
あれ、でもなんだか安心できない。
この暴走、もしかしたら今後徐々に増えつつあるのかな…って。

暴走の根底に寝そべっているのが、大人たちの幼稚性。
一見、熱心に子どもを教育しているように見える親でも、
その教育自体が自分の自己表現の手段に過ぎなかったりする。
あくまでも子どものためではなく「自分のため」の育児になってしまっているのね。
しかも、個性を重んじようとする社会の風潮が、親たちの自己正当化に拍車をかけていて、
誰もそれに苦言を呈することができない…
というか、家庭という密室で暴走されてしまうと、誰もそれに気がつかない。
父親は何をしているのかというと、
忙しさにかまけて見てみぬフリをしたり、共に暴走する者も。
意を決して暴走を止めようとして、はかなく散った父親の事例もあったかな。

「今の子どもたちは勉強はできる、でも生活ができない」
という、ある教師による指摘は印象的。
今、マスコミを賑わせてる朝青龍はその象徴?なんて思えてしまって。(笑)
え?どういうこと?
気になる方はぜひ一度手にとってみて。
のべ4000人にもなる家庭・母親たちに取材をされてきた石川さん。
その十数年に渡る経験を通して感じた変化のひとつに、
「親たちの葛藤がなくなった」ことをお話してくださった。
例えば、取材を始めた頃は、子どもにインスタント食品を与えることに葛藤を覚える
母親がほとんどであったのに対して、現在ではそれに対して悪びれもしないという。
「忙しいんだから当然でしょ。何か問題でも?」というような。
持論をストレートに表現することに長けている一方、
それに比例して、周囲への配慮ができない大人が増殖中?
周囲どころか、自分の子どもにさえも?
うーん。
あくまで、少数派。
そう、少数派なんだから…
胸をさすって一息ついてみる。


■暴走育児──夫の知らない妻と子のスウィートホーム
 石川結貴 著
 2009年 筑摩新書


※石川結貴さんオフィシャルHP
http://ishikawa-yuki.com/

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posted by ひろ ■はじめましてのごあいさつ■ | 13:48 | Thinking | comments(0) | trackbacks(0) |
●旅の終着地へ
 [100万回生きたねこ]


絵本という手法に奥行きを感じるのは、
物語の解釈のすべてを読者にゆだねているから。
そういう、懐の深さと余裕を持ち合わせているから。
『100万回生きたねこ』は、じんわりと、
心に染み渡っていくかのように「何か」を語りかけてくるわ。
その「何か」は、人によってとらえ方も様々。
同じ人が読んでも、10歳で読むのと20歳で読むのとでは、また違った味がするのよ。
さぁ、今のあなたにはどんな味がするのかしら。


100万年も しなない ねこがいました。
100万回も しんで 100万回も生きたのです。
りっぱな とらねこでした。
100万人の 人が、 そのねこを かわいがり、
100万人の 人が、 そのねこがしんだとき なきました。
ねこは、 1回も なきませんでした。
                         (本文より抜粋)

ねこの身の上に、それまでの100万年とはあきらかに違う「何か」が起きた時、
100万年の旅は終焉を迎えることになります。 
命が、何らかの目的を果たすために生まれてくることを、
思わず意識してしまうでしょう。
本物の自分自身と向き合うこと、
それなくしては、他者を愛することはできないということ、
愛する者との安らぎこそが、自身の幸福につながること…
様々なメッセージが読み取れますが、
お子さまたちには少し難しいかもしれません。
とはいっても、大人でも「?」という方ももちろんいらっしゃいます。
生まれた回数がまだ少ない純粋無垢な人なのかも?(笑)
まるで魂を測る定規のような絵本ですね。
私は失恋を経験して、はじめてその辺りまで到達できた気がするわ。  
いえいえ、さらにもっともっとその先があるのかもしれませんよね。
手元において、これから先も数年おきに味わいたい絵本なのよ。

動物は、人間よりも輪廻転生のサイクルが早いという話をきいたことがあるわ。
だとすると「100万回」は、まんざらではないかもしれないわね。
さて、そういう私自身は今、何回目なのかしら。
私の終着地はどこにあるのかしら。
ふと夜空を見上げる、今日この頃。


■100万回生きたねこ
 佐野洋子 作/絵
 1977年 講談社
 6.7歳から(大人向き)

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posted by ひろ ■はじめましてのごあいさつ■ | 23:51 | Thinking | comments(2) | trackbacks(0) |
●夢やぶれて 後編
 [レ・ミゼラブル]


昨年、秘められし美声を世に解放することで、
一躍スターの座に駆け上った英国のスーザン・ボイル。
あの歌声、みなさんも一度はお聴きになったことがありますよね。
そんなスーザンのトレードナンバーといえば、『夢やぶれて』。
昨年末の紅白歌合戦でもゲスト出演で歌われていました。
実は、この『夢やぶれて』はミュージカル「レ・ミゼラブル」の挿入歌。
あ、いかん。
今日もTVで流れていて、ふと思い出しました。
あれの続きを書かなくちゃ。えへへ…(汗)
ほんのりかすかなネタバレあり。あしからず。


◎あるときは闇、またあるときは光
主人公ジャン・ヴァルジャンの人生は、まさに光と闇のくり返し。
過去に犯したたった一つの罪が、彼をどこまでも追いかけ、追い詰めてゆく。
それがまるで、彼自身の影ぼうしであるかのように。
その「影」を人格化したものが、地の果てまでもと彼の追跡に執念を燃やすジャベール警部。
数年前に東野圭吾の「白夜行」という小説&ドラマがヒットしましたが、
あの状況とよく似ているな、と感じたわ。
もちろん、結末はまた別物ですけれどね。
ジャンの罪を知りつつも、なぜか私たち読者は彼を応援せずにはいられないはず。
それは、生きている私たち誰もが「影」を持っているからではないかしら。
虚構の「影」(ジャン)と現実の「影」(読者)が同調し合うからなのでしょう。
あるときは闇、またあるときは光…
このくり返し、私たちの人生においても同じことが言えるのでは。
「私、今まさに人生の闇にいます…」
そんな風に自身の不運を憂う方もいますが、
闇の訪れもまた幸福への兆し。
明けない夜はないし、闇にいるからこそ、いずれさしてくる朝日の一筋が見えるというもの。
いつも光に包まれていては、それが光なのか何なのか、わからなくなりますものね。
読み始めは、遠い昔の異国の物語のように読者は感じることでしょう。
でもだんだんとわかってくるから不思議。
案外、現代を生きる私たちに寄り添うように「いつもすぐそばにある」物語であるということが。

◎求道者としてのジャン・ヴァルジャン
物語の冒頭、ジャンはミリエル司教によって、
死に絶えたかのような魂を蘇生させられています。
闇の住人ジャンは、司教の強烈な光にさらされることによって、
自己がいかなる闇の巣窟に身を置いていたかということを改めて認識するの。
この出会いを経て、彼はさらなる逃亡の旅を続けるけれど、
そこからの逃亡劇は、これまでのものとは全く意味の違ったものとなってゆくわ。
その生き様はまさに求道者。
ミリエル司教は聖職に身を置くことで、自身の光を取り戻したけれど、
ジャンは、混沌とした現実社会を雑草のように生き貫くことによって、
光を取り戻そうとしたわけなのね。
(児童版ではミリエル司教の過去については割愛されています)
出版当時、フランスの大衆に圧倒的支持を得た秘密がここに垣間見えますね。
何も聖職や仏門に入ることだけが、人生の求道じゃないでしょ、
滝に打たれて瞑想などしているよりも、現実社会に揉まれて生きることの方が、
はるかに実践的だよ、、、
なんてことを、作者ユゴーが言っているように思えてくるわ。
このメッセージは、懸命に生きる当時のフランス大衆の心をどんなに奮い立たせたことか。
悩み深き人々は、皆自らとジャンとを重ねつつ、物語を読み進めたことでしょう。
まばゆい光に触れたその時、ジャンの奥底にあった導火線に火がついた…
ほんのわずかなきっかけさえあれば、人は自らの内面に光を見出すことができるのね。
どんな闇のどん底にいようとも。
このジャン・ヴァルジャンの逃亡劇の全貌、
やはりあなたの心の目で確かめていただけたらと思うわ。

◎真の勝利者
身のちぎれるような貧困が罪を生み、影となり、
光を求めて這い上がっても這い上がっても、
自らが生み出した影に追いかけられる恐怖とやるせなさ…
救いようのない悲劇のドラマ。
そう、誰もがいうけれど、私はジャンの人生は素晴らしかったと思うのよ。
あんな最後は悲惨だと、それこそ無情だという人もいるでしょう。
でも、物語の幕が降りるその瞬間、彼の心境は光に包まれていたはず。
たとえどんな状況下にあっても、
懸命に生き続けなければならないことを、ユゴーはジャンを通して私たちに教えてくれるわ。
「レ・ミゼラブル」はいつの時代も、生き惑う悩み深き人々の味方。
ユゴーがジャンに与えたこの結末は、
生き抜いた彼に対する、真の勝利者の称号に他ならないと私は解釈してる。


「レ・ミゼラブル」に関して感じることを全てまとめようとすると、
何日あってもやっぱり足りない。。。
児童版でさえこの調子だけど、
大人向けの完訳版はここまでやるかというくらいに、とにかく深く濃いのね。
だから、気軽に読んでみたい、ストーリーだけでも知りたい、
というときに児童版はオススメよ。
逆にどっぷり浸かりたいという方は、ぜひ完訳版に挑戦してみては。
岩波から全4巻、文庫サイズで発売されています。
疲労しますが、(笑)絶対に読んで損はさせません。
児童版では、福音館書店から上・下巻で発行されている「古典童話シリーズ」が
良訳かなと感じていますが、(上記画像掲載のもの)
この大判のハードカバーは大人の方には向かないかも。。。
以前読んだ偕成社版は小ぶりな上、
翻訳者の子どもたちへの真摯な愛情が感じられて大変好感が持てました。
オススメです。通勤電車の中でもさっと読めてしまいますよ。


■レ・ミゼラブル 上・下
 ヴィクトル・ユゴー 作/ G・ブリヨン 絵
 1996年 福音館書店
 小学高学年以上 


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●日本誕生の秘話
 [くにのはじまり]



年の瀬になると、急に頭の中が「和」に切り替わる自分がいます。
街のショーウィンドウのしつらえが、
クリスマスツリーから門松へ変わるときのように。
日本人は愛国心がな〜いとかよく言われるけれど、
そうでもないわよ、と私は思うの。
お正月に初日の出を意識したり、いそいそと神社へ出かけたり、
しめ飾りをし、鏡餅をお供えしたり…
誰に促されるわけでもなく、たとえその意味がわからなくとも、
誰もが実に自然にたんたんとならわしを実行するでしょ。
それはとっても静かな気配り。
たおやかで、内に秘めるような日の丸を愛でる心。
自分でも無意識だし、あまり表に出さないだけなのよね。きっと。
さてさて。
本日は、そんな日本の誕生秘話をお披露目いたしましょう。


はるかな太古。
天の浮橋に立った伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の神が、
眼の下に漂うものの中に矛をさし込んでかき回すと陸地が誕生した。
この男神と女神は力を合わせ、さらに35もの神々を生んでゆく。
しかし、最後に火の神を産み落とした女神・伊邪那美は、
火傷を負い、黄泉の国へと旅立ってしまう。
悲しみ、思いつめた男神・伊邪那岐は、
愛しい女神・伊邪那美を追い、黄泉の国を訪れるのだが…。



とても贅沢な絵本。
舟崎克彦と赤羽末吉という両巨匠は、
この絵本(全六巻)を完成させるにあたり、並々ならぬ苦労を重ねたよう。
かの「古事記伝」をはじめ、日本誕生にまつわるあらゆる文献を読み漁り、
綿密な現地取材を重ねたとのこと。
日本神話を題材とした絵本は他にもたくさんあるけれど、
これ以上のホンモノは、もう出てこないだろうと私は思うわ。
赤羽末吉氏は「スーホの白い馬」でみなさんもおなじみ。
舟崎克彦氏といえば「ほっぺん先生」シリーズですね。
私の母校でも教鞭をとっておられます。
残念ながら、私は舟崎先生の授業を受けられなかったけれど。(泣)
子どもたちの心を決して侮らない、軽んじないお二人の姿勢には、
頭が下がるのみです。
「私はどうして生まれてきたの?なんでここにいるの?」
なーんて突拍子もないことをお子さんに聞かれたら、(結構ありがち・笑)
ぜひ、この絵本を読み聞かせしてあげてくださいね。

私が初めて日本神話に触れたのは、
七五三の時に千歳飴と一緒に神社でいただいた、
「やまたのおろち」と「いなばのしろうさぎ」…ということは、7歳の頃かしら。
でも国造りのお話は、恥ずかしながら大学生になるまで読んだことがなくって。
それまで、ギリシア神話に傾倒していた私。
この国造り神話「くにのはじまり」を読んだときはとても驚いたわ。
黄泉の国へ妻・伊邪那美を迎えに行こうとする日本の男神・伊邪那岐と、
冥界へ妻・エウリデーチェを迎えに行こうとするギリシャの神・オルフェウスとが、
ピタリと重なり合ったから。
きゃー☆
やっぱり世界はひとつなんだわ!人類みな兄弟!バンザイ!
なんて思えてしまって。
世界各国の神話を拾い集めて比べると、こういう類似点はたくさんあるみたい。
古代の人々は、きっと同じものを見つめていたのね。
人種や民族性の違いがちょっとした解釈の相違を生んで、
それぞれの文明文化に反映されていったのでしょうね。
ところで、この物語にはこんなぞっとするような夫婦喧嘩のくだりがあります。


「あなたがそうような仕うちをなさるなら、わたくしはこれから
あなたの国の人たちを一日千人ずつしめころしてやります」
「おまえがそのつもりなら、
わたしは日に千五百人ずつ子どもを生ませてやる」
                        (本文より抜粋)
さて、あなたならどう解釈しますか。
私は人体の細胞の入れ替わりのことを表しているのかな、と感じます。
命はあらゆる犠牲の上に成り立つもの。
私たちの生きる日本の地もまた、
母なる女神・伊邪那美の犠牲の上に成り立っています。
生活があまりにも便利になり、炎を見る機会が減りつつあるけれど、
料理をするときには、わずかでも伊邪那美に想いをはせてみたいものだわ。
それで少しでも彼女の心を慰めることができたなら、
同じ女性として嬉しいですね。



■日本の神話 第一巻 
 「くにのはじまり」
 舟崎 克彦・文 / 赤羽 末吉・絵
 1987年 トモ企画
 5歳から

 

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●夢やぶれて 前編

[レ・ミゼラブル 上]
 

今年も残すところあと2日。
一年の締めくくりに、ちょっぴり重めの物語を読み直したい気分に。
候補はいろいろあったけれど、
なつかしい大作が私に「おいでおいで」のサインを出していたの。
そんなこんなで、
10年ぶりに「レ・ミゼラブル」を読み直すことに。


姉の残した8人の子どもたちのためにパンを盗んだ罪でとらえられ、
19年の間、牢につながれていたジャン・ヴァルジャン。
『ああ無情』として、あまりにも有名なユーゴーの大作『レ・ミゼラブル』。
この作品の主人公はひとりではありません。
貧困と不幸のどん底で、悲惨な境遇に屈することなく、
懸命に生きた人びとすべてが主人公です。
(偕成社文庫・表紙そで、あらすじより一部抜粋)


ミュージカルでのその名を知る方のほうが多いのかしら。
かの「ノートルダム・ド・パリ」と並ぶフランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの代表作。
日本では「ああ無情」として、舞台化されたり、ドラマ化されたりしていますね。
普及の名作なんていう言い回しはあまりにも軽々しく恐れ多いくらいです。
私もどれだけユゴー作品の虜になったことか。

絵本をいち早く卒業して、
名作文学全集に傾倒したのは小学校にあがった頃。
それは、「少公女」「アルプスのハイジ」「あしながおじさん」「若草物語」…etc。
本を読んでいなくても、ハウスの提供でTV放映されていた、
日曜名作劇場でこれらの作品に親しんだ方も多いのでは?
あれってものすごくおもしろかったでしょ。
名作文学全集って、つまり日曜名作劇場の原作に相当するものなのです。
私が子どもの本に心酔する理由って、実はこのあたりにあったりするの。
本当に魅力的なんですよ。
でも、そんな中、難しそうで敬遠していた『ああ無情』。(レ・ミゼラブル)
思い切って手にとって見たら、もう後悔の嵐。
本の内容も嵐。(笑)
バカだった!
なんでもっと早く読まなかったんだろう!って…。
10歳の私は、その激しすぎる嵐に翻弄されて、身震いするしかなかったのよ。

つい、前置きが長くなりました。(汗)
それでは今日はこの辺で。つづきはまた次回〜♪


■レ・ミゼラブル
 ヴィクトル・ユゴー 作/ G・ブリヨン 絵
 1996年 福音館書店
 小学高学年以上 

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posted by ひろ ■はじめましてのごあいさつ■ | 23:58 | Thinking | comments(0) | trackbacks(0) |
●サンタクロースの正体
                                       JUGEMテーマ:絵本紹介
[サンタクロースっているんでしょうか?]

クリスマスには、この表紙絵みたいな、
白い髭をたくわえたサンタクロースが我が家へやってきて、
プレゼントをおいていってくれる…。
私がそう信じていたのは、たしか10歳までだったわ。
…あなたはどうでしたか?
今日ご紹介するのは、ある少女の素朴な疑問。
100年以上も前に、ニューヨーク・サン新聞に実際に載った社説。
そう。本当のお話なのよ。


サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?
8歳の少女の質問にこたえ、ある新聞社が、
愛情をこめて、味わい深い返事をだしました。
<アメリカで実際にあった話で、今も世界中の人々に愛読されています>
                              (表紙紹介文より)

この本をお子さんが手に取ったとき、それはある意味、
親であるあなたの心が試されているとき、ともいえるわ。 
この本をポンと渡しただけでは、子どもは納得しないでしょう。
一緒に読んだ後で、もう一度あなたの口から説明してあげることが大切なのよ。
あなたなら、どう答えるかしら?
少女の質問を受けたチャーチ記者は、こう返答しています。
バージニア、おこたえします。
サンタクロースなんていないんだという、
あなたのお友だちは、まちがっています。
きっとその子の心には、いまはやりの、
なんでもうたがってかかる、
うたぐりやのこんじょうというものが、
しみこんでいるのでしょう。
うたぐりやは、目にみえるものしか信じません。
…… 中略 ……
そうです、バージニア。
サンタクロースがいるというのは、
けっしてうそではありません。
この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、
まごころがあるのとおなじように、
サンタクロースもたしかにいるのです。
                   (本文より抜粋)
  
いかがでしょう。
「これってどういうこと?」
子どもたちの「なんで?どうして?」はやっぱりとまらないかもね。
それに対して、あなたはちゃんと自分の言葉で説明してあげられるかしら?
子どもたちの心の中に住む、サンタクロースの生死の鍵は、
あなたが握っているのよ。

どんなに聡明でも、目に見えるものにしか幸せを見出せない人は、
説明はおろか、きっとこの社説を理解するのも難しいでしょう。
目に見えるものは、本当の幸せにはつながらないから。
それを暗喩するかのように、私たちをとりまく、
この物質的豊かさを追い求め続けた社会は、もう行き詰まりをみせてる。
そのことは、今を生きる大人なら誰もがうすうす気づいているはず。
でもこんな殺伐とした時代にも、サンタクロースという象徴は生き残り、
大切なメッセージを私たちに伝えてくれているのね。
「惜しみなく与えよ」と。

私はサンタクロースを知っているわ。今でも年に1度くらいは会いますよ。(笑)
それは、秋田県という雪のたくさん降る田舎の町に住んでいて、
私のことを深く愛してくれる夫婦なの。
私たち兄弟だけのサンタさん。
…父と母が明かしてくれたのは、私が大人になってからだった。
何年も、私は知っていながら知らないふりをしていたわ。
なぜって?
忙しい年の瀬、しかも雪の中、
毎年のように車をとばし、おもちゃやさんにこっそり出かける両親の姿に、
本物のサンタクロースを重ねてみていたから。
惜しみなく愛を与える人。
それこそがサンタクロースの正体なのかもしれません。


■「サンタクロースっているんでしょうか?」
 ニューヨーク・サン新聞〜1897年9月21日の社説
 中村 妙子 訳
 東  逸子 絵
 

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●本物の宝物は…
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[きいろいばけつ]


何かとても欲しい物があるとき、
でも、なかなかそれが手に入りそうにないとき、
毎日毎日、それを思い浮かべて、
それを手にしている自分の姿を想像したり、
どんな風に使おうかと、考えあぐねたりしたことはない?
小さな頃、よくあったなぁ、私は。

きつねの子が、丸木橋のたもとで見つけた「きいろいばけつ」。
まだ新しいらしく、とてもぴかぴか。
でも名前はどこにもかいていない。
前からこんなばけつがほしかったきつねの子は、
きいろいばけつのとりこになります。
「ほんと。ずっとまえからきつねちゃんのだったみたいね」
「もし、だれもとりにこなくて、
ずっとそこにおきっぱなしだったら、きつねくんのにしたら」
友達のうさぎとくまはいいました。
…いっしゅうかん。
もしも、一週間のうちに、本当に持ち主が現れなければ、
このばけつは、晴れてきつねの子のものとなることに。
さて、きいろいばけつの行く末は…?

20年ぶり、いえ、それ以上よね。
懐かしい思いで開いたその童話は、あまりにも字がおおきくって驚いた。(笑)
初めて読んだときには、長い、ながーい物語を読みきった自分を、
ちょっぴり誇らしいって思ったくらいだったのにね。
好きで好きで、仕方なくって何度も読んだ本。
きつねの子が、このきいろいばけつに魅せられたのと同じように。
おそらく、
作者の森山 京は子どもの心を宿したまま、大人になった方なのでしょう。
心奪われたばけつを、慈しむように扱うきつねの子の健気さを、
曇りなく繊細に描いているから。
私だって、物語の中に入り込んで、
何度、このきつねの子と自分の心情を重ねあわせたことかしれない。
渇望するものに対してよせる、子どもの熱いまなざしは、
大人のそれなど、やすやすと凌駕してしまうほどのもの。
それはたぶん、
子どもたちが限られた自由の中に身を置いているからなのね。
そのことが、切なくなるほど伝わってくる物語なの。

大人の知らない間に、子どもの心は音もなく成長していたりする。
それは意外にも、思い描いたようにはならなかった現実とか、
ちいさな夢が泡のようにはじけてしまったことでもたらされたりする、
思いがけない代替的プレゼント。
そう呼ぶには、目にも見えず、香りもせずで、とても魅力的とはいえないけれど、
でもそれこそが、手に入れるべき本当の宝物なのかもね。
このきつね子がそうだったように。


■きいろいばけつ
 森山 京 作 / 土田 義晴 絵
 1984年 あかね書房
 5歳から

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